原神

フリーナ性格分析!テイワットの歴史とフォカロルスの計画を振り返りつつ心理学で掘り下げ【原神・げんしん】

原神心理学フリーナ編

こんにちは、こばとーんです。

リクエストを大量にいただいていたフリーナの解説をやっていきます。

先に言っておきます。めっちゃ長いっす。というのも、フリーナというキャラクターを語るためには、その背景にある歴史を語らなくてはいけないのですが、ちゃんと解説しようとしたらほぼテイワット全史になってしまいました。

一応、メインであるフリーナ周辺に絞ってお伝えしますが、それでも結構ボリュームあります。

ただ、今回の話を聞いていただければ、ほぼフォンテーヌのざっくりとした歴史を把握できるでしょう。ナタが始まったタイミングで復習として結構いいかもしれません。

そして、フリーナ自身はストーリーがとにかく感動的!魔神任務をプレイした後なら、誰もがファンになってしまうようなそんな魅力的なキャラです。

本編中では、時系列が複雑になっていたりした部分もあって難しかったですよね。特に予言関係が混乱しやすいと思います。そこで今回は、その辺はわかりやすくまとめつつ、彼女の人格を深掘りしていきましょう。

ネタバレ注意

今回は、フォンテーヌ編全編にわたるネタバレを盛大に行います。

核心の部分にガンガン触れるので、プレイしていない人は、ぜひフォンテーヌ編を終わらせてからみましょう。

時系列整理、プロット順で見てみよう

いつも通り、まずはストーリーを見ていきましょう。しかし、今回はかなり多岐にわたるお話を含みます。というのも、フリーナを解説してほしいといったリクエストには大体「フォカロルスとセットで解説してほしい」といった要望がくっついていたんですね。

ならば、フォカロルスの行動原理や過去も触れる必要があるでしょう。というわけで、テイワット全体の歴史をフォンテーヌを軸にしながらざっくりと見ていきたいと思います。

では、早速行ってみましょう。

テイワット全史:元素龍統治時代からエゲリア幽閉まで

昔々テイワットは元素龍が治める土地でした。

元素龍とは、その名の通り元素を司るドラゴンのことです。作品中には、今のところヌヴィレットとアペプが登場していますね。

1匹が1種類ずつ元素の力を持ったドラゴンだったみたいです。

しかし、ある時、天理が介入してきます。

天理は、元素龍から元素を司る力を奪い、俗世の七執政にその力を分配します。

この俗世の七執政と言うのが、いわゆる原神の神様たちの事ですね。

ウェンティや、鍾離、雷電などの事です。

そして、初代水神であったエゲリアはフォンテーヌの統治をしていました。

フォンテーヌには純水精霊たちがいて、彼ら彼女らは人間に強い憧れを持っていたんです。「人間になりたい」その願いを叶えるべくエゲリアは力を使いました。

しかし、天理によって分配された水神の力では、純水精霊を人間に変えるには力が足りません。そこでエゲリアは原始胎海の力を利用することによって、純水精霊を人の形に留めることに成功するのでした。

ところが、その行動が天理の怒りを買ってしまいます。

勝手に原始胎海の力をくすねたこと、そして、人間を創造したことが罪であるとして、エゲリア及びフォンテーヌ人すべての連帯責任を問い、「滅びの予言」が言い渡されます。

「人々はみな海の中に溶け、水神は自らの神座で涙を流す。そうして初めてフォンテーヌ人の罪は洗い流される」

さらにエゲリア本人は幽閉されてしまいます。かなり長い間幽閉されていたようで、その間にフォンテーヌの土地は荒れてしまったみたいですね。

なお、そんな混乱の中起こった国がレムリアです。

ウスさんこと、カッシオドルの話や、その後に続くファントムハンターの話は、この辺の時代に由来しています。頭の隅に覚えておくといいでしょう。

エゲリア帰還からフリーナ誕生まで

レムリアによる動乱こそあったものの、エゲリアは無事に帰還し、しばらくの間エゲリアによる統治が続きます。

この間に原始胎海を塞ぐゲートの役割として、メロピデ要塞が建造されたみたいですね。

さらに、この頃に水仙十字院が設立されており、リリスやアンの物語が展開されます。ここに存在していた天才アラン・ギヨタンによってクロックワークマシナリーの技術が作られ、現代に続くわけですね。

そして、カーンルイアでの動乱がやってきます。

詳細は不明ですが、大体、この時期が500年前位前。1連の争いの中でエゲリアは負傷してしまい、それが原因でなくなってしまいます。そして純水精霊であったフォカロルスが後任の水神として任命されました。

なお、この動乱の際に、暴れた邪竜がエリナス。エリナスの遺体は後にメリュジーヌへと生まれ変わっていくので、この辺りに起源があると覚えておくと良いでしょう。

ちなみに、エゲリアの遺体は先代草神である。マハールッカデヴァタが保管しており、後に起こるトゥニギの黒淵問題を解決する際に万種母樹へと生まれ変わっています。

そこから生まれたのが花霊です。そのため、ソルシュたちは草神と言うよりも水神を信仰している毛色が強いんですね。

ファラクケルトの園周辺は、スメールのエピソードとフォンテーヌのエピソードが共存しているエリアなので、改めて読んでみると面白いですよ。

さて、ここからが大切です。

エゲリアがなくなり、後継者としてフォカロルスが水神となりました。

フォカロルスは水神の位を受け継ぐのと同時に予言についても引き継いでいたんですね。どう考えても、フォンテーヌが全滅する以外なさそうな予言を前にフォカロルスはめちゃくちゃ悩みます。

そうして、海の底で長いこと考えた結果、思いついた結論。それが「天理を騙す」こと。

フォカロルスは計画実行のため自分を2つに分けました。自分がなりたかった人間としての姿を1つにまとめてフリーナを作り出し、それ以外の神性は、全て自分が持つことにしたのです。

そして自分は諭示裁定カーディナルになり、フリーナは水神の役割を演じることになります。

この計画は非常に重要なので、いちどここでしっかり説明しておきましょう。

フォカロルスの計画とは

予言について、魔女回メンバーであるNはこのような発言をしています。

ここで言う神とは7神のことではありません。文脈から考えて天理もしくはそれより上位の存在でしょう。

ひとまず天理の視点として考えておくとわかりやすいので、ここでは天理の視点として扱います。

予言は必ず実行されます。ただし、それは天理から見た光景として「必ずその絵柄が再現される」といった意味なんです。つまり、Nが言うところの「神の視点の死角」とは、「必ずしもその光景が1つの意味を持つわけではない」と言うことを表しています。

言い換えれば、「フォンテーヌ人があたかも水に溶けたかのように見えて」、「水神は自らの神座で涙を流して見えればいい」ってことですね。

予言で描かれている以上、この光景は必ず実現しますが、それがすなわちフォンテーヌ人が全滅するという意味には、必ずしもなるわけではありません。この神の視点の隙間をつくウルトラCを狙ったのがフォカロルスの計画と言うわけです。

ただし、これにはとても大きな問題があります。

原始胎海の水が溢れて水位が上昇する以上、そこに触れてしまえば、フォンテーヌ人は必ず溶けてしまうでしょう。だから、原始胎海の水に沈んでもフォンテーヌ人が解けないようにする必要があります。

それが元素龍によるフォンテーヌ人の体質変化ですね。

天理によって与えられている水神の力では、フォンテーヌ人の体質を完全に書き換えることができません。それは先代水神のエゲリアが原始胎海の力を借りなくては人が作れなかったことからもわかりますよね。

つまり7神が扱える元素力と言うのは、元素龍から比べるとかなりスケールダウンしたものなんですね。

ですが、元素龍であれば、テイワットの水元素を完全に掌握することができます。つまり純水精霊と原始胎海の成分からできているフォンテーヌ人を完全に変えることが可能です。

だからこそ、自身が持つ水元素の力を元素龍に返す必要があったんですね。

しかし、それにも問題があります。本来人間ではない種族である元素龍にとって、人間なんて、どうでもいい存在です。元素龍に力を返したところで、人間の体質を変えるために努力してくれる保証は無いんですね。

なので、ヌヴィレットを審判官として配置し、人間と深く関わらせることで、人への興味や愛情を抱かせることにしたのです。

後は、水元素を操る力を自分から剥離する方法だけが問題となります。

強大な天理の力によって与えられている水神の力は、そう簡単に渡すことができません。なので、何かしらの方法で、莫大なエネルギーを集め、そのエネルギーで自分ごと水神の神座を破壊する必要があったんですね。

このことから、おそらく神座とは、天理が元素龍から奪った力を俗世の七執政に固定するための権能みたいなものなんだと予想ができます。

その拘束力を超える力を集めて、神座を破壊する。これが目的です。おそらくですが、力の所有者が生きていると、神座が破壊できないのか、もしくは、両者は同時に存在するような縛りがあるのでしょう。そこに関して詳細は語られていないのでわからないんですが、ひとまずフォカロルスの知識をもとに計画を練ったところ、自分もろとも神座を破壊する結論になりました。

そして、それを達成するためのエネルギーが、立証混合エネルギーです。

天理の目を欺くため、そして立証混合エネルギーを貯め続けるために、自身は諭示裁定カーディナルになりすまして、エネルギーを500年間貯め続ける必要があったんですね。

はい、ここまでで、ようやくフォンテーヌ人が水に沈んでも全滅しないところまで計画を組み立てられました。残るは自らの神座で涙を流す水神が問題です。

先程までの計画通りに進めてしまうと、元素龍に力を返還した時点で、自分が消滅していることになるため、水神が不在になってしまいます。なので自分とは違う水神を用意する必要があったんですね。

そう、それがフリーナです。

しかし、ここでちょっともやっとする人も多いんじゃないでしょうか。なぜなら、フリーナは水神ではなく、ただの人です。果たして予言通りになっているのか微妙なところですよね。

ただ、ここでも効いてくるのが「神の視点」という言葉。

フォカロルスの計画が成就したことから、逆説的に、少なくとも神である天理は全知全能ではないことがわかります。例えば、本当に全知全能の神様であれば、世界すべてで起こっていることを把握することも可能でしょう。であれば、フォカロルスが心の内で立てた計画も、フリーナとのやりとりも筒抜けとなり、意味を成しません。

なので、天理といえども、ある程度限られた認知能力で世界を見ていることがわかります。

おそらくですが、人の心を読んだりすることはできなさそうです。仮に、心が読めるのであれば、フリーナの頭の中を覗けば、彼女が本物の水神でないことがばれてしまいますからね。

ただし、かなり精度高く、人々の発言や文字になったものに関しては、認識できる可能性がありそうです。

この理屈であれば、フォカロルスがフリーナに計画の全貌を伝えなかったことにも筋が通ります。自分たちの計画を不用意に声に出したり、文字に起こしたり、他人に伝えたりしてしまうと天理にばれる可能性があったのではないでしょうか。だからこそ、フリーナは必要以上の内容を知らずに実行する必要があったと考えられます。

そして、さらに天理の認知がその程度であると仮定するのであれば、水神の認識も納得が行きます。

要するに、人々が水神だと認識している相手が水神なんです。

500年の間、あらゆる言葉、あらゆる文字、あらゆる表現で、フリーナが神であることが語られてきました。人々の認識もそのようになっています。

であるなら、フリーナしか神はいないんです。

天理が定めたルールや、認知に関しては、詳細が全く語られていませんが、計画が成立したことを考えると、逆説的にこれくらいの内容であることが推測できるでしょう。

あくまで推測なので、話半分で聞いて欲しいんですが、大外しはしていないはずです。参考まで。

500年間の統治から、原始胎海変動まで

フリーナは人間の身でありながら水神の演技をし続けます。

最初こそ、コツを掴んでいい感じに思いましたが、いつまで演技を続ければいいのかわかりません。次第にフリーナの心は終わりの見えない嘘にどんどん壊されていきます。

さて、ある意味では、500年間フリーナの生活は変わらないものでした。

ところが、その周囲はかなり変化があったんですね。

例えば、メリュジーヌやヌヴィレットが人々に馴染んだことです。最初こそ、人間ではない彼らに不信感や嫌悪感を抱いていたフォンテーヌの人々ですが、地道で誠実な努力をした者たちの行動の結果、徐々に信頼関係を築くところにまで至ったのです。

そしてヌヴィレットが中心となって行っていた審判制度もどんどんと定着していきます。

やがて、フォンテーヌと言えば「歌劇の様式を取り入れた審判」といった具合に名物化して行ったんですね。それと同時にその場で華麗に立ち振る舞う、フリーナも名物になっていきます。

厳格な神様と言うわけではなく、歌劇場でオーバーな身振り手振りで、聴衆を魅了し、華やかで美しく、しかして、ときには残酷な処刑を下すフリーナの姿が、フォンテーヌならではの神様の姿として定着していったと言うわけです。

そして、500年は緩やかな変化を得ながら、進んでいきました。

事態が動き出したのは、ここ十数年のこと。フォンテーヌの水位が上昇し始めたのです。

作中ではさらっと語られていましたが、そのペースは結構早いもの。リネやリネットが幼少の頃住んでいた家が水底に沈んでいる位には変動しています。

フォンテーヌの民の不安は相当なものだったでしょう。

そんな不安からか、あの予言に再び注目が集まります。この水位上昇は、もしかしたら予言が現実になってきているのではないか。そんな憶測が現実味を帯びて、人々の間に広がっていったんですね。

結論から言えば、この水位の上昇は「呑星の鯨」によるものです。

テイワットの外の生き物である「呑星の鯨」は、原始胎海のエネルギーをどんどん食べていたんですね。タルタリヤの師匠・スカークの表現を借りるのであれば「原始胎海の水元素力はテイワットの深海では消化が難しい」らしいです。なので、呑星の鯨が乱した水元素力によって水位の上昇が起こっていたわけですね。

さて、とは言え、鈍性の鯨のような超常の存在のことなんて、フォンテーヌの人々は知る由もありません。そんな徐々に水が上がる不安感が漂うフォンテーヌに、ついに旅人がやってきます。

旅人到着から水神裁判まで

ここからは、私たちが旅人として体験してきたストーリーになります。

フォンテーヌにたどり着くと、いきなりフリーナに因縁をつけられることになり、そこをリネが機転を効かせて助けてくれましたよね。

彼らと親交を深めていきますが、マジックショーでのトラブルから、連続少女失踪事件へと話はつながります。そして、その審判の過程でフォンテーヌ人が原始胎海の水に溶ける特性があることが判明します。

その後、ヌヴィレットの依頼で潜入したメロピデ要塞では、原始胎海へとつながるゲートが登場。物語の終盤では、このゲートがついに開いてしまうこととなり、原始胎海の水が溢れてきました。それと同時に、それを収めたヌヴィレットの正体が水の元素龍であることもわかりましたね。

こういった数々のエピソードを通して、フォンテーヌ人と原始胎海の関係が描かれていきました。

そしてついにその時は訪れます。ポワソン町の水没です。

メロビデ要塞の原始胎海につながるゲートは処理されていたはずですが、何故かこの洪水では、ポワソン町の人々が水に溶けてしまいました。

「ついに、予言が始まってしまった」という不安により、今まで以上に水神であるフリーナへと対応を求める視線が集まります。

しかし、フリーナは何もしません。

それもそのはず、フリーナは何も知らないんです。フォカロルスから言われているのは神のふりをし続けること。そしてそれを誰にもバレないようにすること。でないとフォンテーヌ人が全て死んでしまう。だからフォカロルスの言ったことだけをひたすら信じて、自分にできる演技をし続けていたんですね。

とは言え、民衆も旅人達主要人物もそんな事は知りません。

これ以上放置すると、本当に滅びが来てしまうかもしれないし、そうでなくても民衆の暴動が起きてしまいます。なので、真実を聞くべくフリーナを裁判にかけようと、一芝居打つのでした。

審判においても、フリーナは必死に神のふりをし続けます。

しかし、様々な証拠や要素を突きつけられることにより、自身が神ではないことがついに判決として明らかになってしまいます。

そして、諭示裁定カーディナルから下された判決は水神死刑。

諭示裁定カーディナルが光り輝き、ついに死刑が執行されるかと思った瞬間、旅人はフリーナの精神世界へ、ヌヴィレットはフォカロルスの精神世界へ飛ばされます。

そこでついに、フォカロルスの計画が明らかになり、同時にフリーナの真実が判明するのでした。

旅人、そしてわたしたちはフリーナの内面を舞台の形で追体験することになります。

フリーナがいかに心もとないまま水神に就任し、どうにか民衆を信用させ、そこから継続的に神としての信頼を獲得していったのか、その努力の過程がようやくわかります。

しかも、ただ演じていただけではなく、しっかりと自分でできる範囲から預言についても調べていました。

しかし、いつまで続くかわからない不安に徐々に彼女の心は壊れていきます。

そして、限界を超えたところにポワソン町の災害だったのです。守ってきたものが崩壊し始め、フリーナの心は限界だったでしょう。旅人はテイワットの外から来た存在として「唯一秘密を打ち明けられる存在」である可能性がありました。

限界を超えていたフリーナは秘密を打ち明けようと迷いますが、それでもフォンテーヌの民全ての命を想って演技を貫きます。

その上での水神裁判だったわけですね。

500年間貯めた律償混合エネルギーにより、フォカロルスは自身を神座ごと消し去り、ヌヴィレットに水元素力を返します。

ヌヴィレットは返還された力をつかい、フォンテーヌ人の体を本物の人間へと作り替えました。そして、さらに、取り返した水元素の力を使って呑星の鯨を誅伐します。

そして呑星の鯨から、原始胎海のちからを剥離させることに成功しますが、その元素力はあまりにも膨大であるため、地上では大洪水が発生。ついにフォンテーヌは水底へと沈んでしまうのでした。

すべての努力が無駄になり、フォンテーヌの民が全滅してしまったと思っているフリーナは神座で涙を流します。

しかし、直前に体質が変化していたフォンテーヌの人たちは無事でした。

ナヴィアたちの尽力、さらにリオセスリたちの船が活躍することにより、多くの人々が救出されていきます。

次第に水は引き、晴れ渡ったフォンテーヌでは、予言がデマであることを喜ぶ声で溢れているのでした。

フリーナの新生活

かくしてフリーナは、人間となり、不老の呪いも解除されたのです。神ではないことが明らかになった今、もはや彼女は演技をする必要もありません。フォンテーヌ挺を出て1人の人間として暮らしていく生活が始まります。

フリーナは500年間自身が演じてきたことによる演技力はもちろんですが、歌劇をずっとたしなんできました。そのため、芝居方面のクリエイティブに造詣が深く、現在ではその能力を活かして活動していますね。

最初はもう演じることなんてしたくない、と言うスタンスの彼女でしたが、

伝説任務では地元の劇団を手伝い、舞台を成功に導きました。その際に水元素の神の瞳を得ていますね。

さらにフォンテーヌのお祭りである千霊映影祭では映像監督も務めています。これからは神ではなく、1人の人間として、文化を紡いで生きていくんでしょうね。

1人で頑張った彼女の幸せを祈るばかりです。

フリーナの性格変化と認知的不協和の解消

さて、物語がわかったところで、彼女の性格分析に入っていきましょう。

まず整理しておきたいポイントですが、彼女の性格設定はめちゃくちゃ複雑ですよね。

魔神フォカロルスとしての性格、水神フリーナとしての性格、一般人フリーナとしての性格、どれが本当の彼女なんでしょう。

まずはざっくりと切り分けたいと思います。

フォカロルスとしての性格は、ある意味全く違う存在なので、別物として扱っていいと思います。彼女自身も言っていましたが、人間の部分と神様の部分を完全に切り分けているので、それによるキャラクターの違いが明確になっています。

それぞれ別で性格分析して比較してみることにしましょう。

そして、水の神を演じていたフリーナと一般人になってからフリーナですが、素の彼女の性格に近いものとしては、一般人の方だと思います。

以前、放浪者の動画で説明したインナーパーソナリティーを利用して、「神としてこうあるべき」と言う性格になれるようにメンタルをスイッチしているからですね。

ただ、興味深いことに、この2つは完全に無関係な性格ではありません。言い方を変えると、だんだんとお互いに寄っていってしまったって感じ。

心理学の有名な効果に、認知的不協和の解消というものがあります。

現実で起こっている物事と心の中で抱いている印象が矛盾してしまったときに、その矛盾を解消するために、気持ちの方を変化させる現象のことです。

矛盾してしまっている状態を認知的不協和と言い、それを解消する動きなので、認知的不協和の解消といいます。

例えば、相手のために命を張って戦う、という行為は「相手が好き」じゃないとやりませんよね。

ですが、とっさに体が動いてしまったりなどして、その行動を取ってしまったとしましょう。すると、それまではなんとも思っていなかった相手に対して、気持ちに釣り合わない重大な行動をしていることになります。

矛盾していますよね。

この矛盾を解決するために、気持ちの方を変化させる効果が、認知的不協和の解消です。現実で起こった出来事は変えることができませんが、心の中の思いであれば、比較的自由に変えることができます。

そのため、私たちは、矛盾を理解するために、気持ちの方をこっそり変化させてしまうんですね。

なので、助けた瞬間は、とっさに体が動いただけだったはずなんですが、後から振り返ったときに「好きだったから助けた」と言う認識に変わってしまうんです。

このように行動や状況は、私たちの気持ちにかなり大きな影響を与えます。

「神様として当然の行動をするフリーナ」は完璧な嘘ではないんです。神としての行動を繰り返し行ううちに、「自分がそう思っているから行っている」と言う認識に変わっていくんですね。

なので、神様としてのフリーナと素のフリーナの境界線はかなり曖昧と言えるでしょう。

神様としての立ち振る舞いを続けることによって、フリーナの内面もどんどんと神様になっていくからです。

あなたも仕事や部活で責任がある立場につかされたとき、体験があるんじゃないでしょうか?

最初はぎこちない動きや、言い、慣れない言葉遣いだったかもしれませんが、徐々にその役職をこなしていくうちに、自分のキャラクターの1部として、その職業が定着してくる感覚があるはずです。

それを500年間も続けていたわけですから、フリーナの人格は、神様と素の状態でそんなに差がないと考えられます。

とは言え、フリーナが外向けに頑張って誇張していた部分もあったりするので、その辺も整理しつつ比較してみていきましょう。

フォンテーヌ人の確証バイアスとエコーチェンバー

もう一つ、フリーナを考える上で押さえておきたい点があります。それがフォンテーヌ人における確証バイアスとエコーチェンバーです。

確証バイアスとは、自分が抱いている印象に合致する情報ばかりを拾い集めてしまう。思考の癖のこと。

特に顕著に現れているのが、フリーナの水神就任式でのことです。

フリーナは礼儀正しく挨拶を行いますが、その態度が「水神らしくない」と言う理由でフォンテーヌの民衆は不信感をあらわにしています。

ちゃんと前任の水神から選出されているにもかかわらずです。

つまり、事実とは関係ないんですね。

あくまで「自分たちが思う水神像」にマッチしているかどうか、で判断をしているのです。

「人は、見たいものしか見ない」とはユリウス・カエサルの言葉ですが、まさにその通り。民衆は論理的にフリーナが水神か否かではなく、自分たちの直感で感じられる水神を欲しているんです。

言い換えれば、「自分たちが水神だと思った存在こそが水神」と言うわけですね。

フォカロルスの発言にあった「これから君が直面するのは「神性」をどう模索するかということじゃなく、「人性」にどう抗うかということなんだ」には、フリーナ自身がどう生きていくのかといった意味ももちろん含まれています。しかし、さらにもう一つの意味として、フォンテーヌ人の抱える人間臭さに、どう抗うのかと言う意味でもあるんだと言えるでしょう。

だからこそ彼女は「人々が神様らしく感じられる言動」を目指して演技します。

傲岸で、不遜で、時に優しく微笑んだかと思えば、人間なんてなんとも思っていないような無慈悲な行動もする。喜怒哀楽が激しく、無邪気な子どものようにはしゃぐ一面と、烈火のごとく怒り狂う暴君の側面を合わせ持つ。そんな神様っぽい神様を設定したんですね。

それによりフォンテーヌの民衆は神を信じることになりました。そして1人また1人と「こういった性格こそが神様だよね」と言う意思表明をして、それがフォンテーヌ人と言うコミュニティーの中で、反響し続けることにより、「ゆるぎない事実」として成熟していく。この現象がエコーチェンバーです。

エコーチェンバーとは、同じような意見を持った人々の間で意見が反響し続けた結果、それを事実だと思ってしまう現象。

世間的にはめちゃくちゃ偏った意見だとか、間違った意見だとしても、真実だと思い込んでしまう強力な力があります。

例えば、以前説明したメロピデ要塞の制帽の会。詳しくはこちらの動画で解説しているので覚えていない方はぜひどうぞ。制帽の会では、人身掌握に長けた男が、恐怖を利用した扇動の仕方で、囚人たちをコントロールしていました。普通に考えれば、非人道的であることが極まりないので、すぐにでも瓦解してしまいそうなものです。

しかし、制帽の会の内部では、それが普通のこととして成立していました。それにもエコーチェンバーが働いているんです。制帽の会に所属しているメンバーたちの間で、さも当然のように、皆のルールが信じられているのであれば、「あの人も言っている」「この人も言っている」「みんな言っているから、これが常識なんだ」といった具合に真実だと思い込んでいってしまうんですね。

これと同じような現象がフォンテーヌ全体で起こったといえます。

人々は、自分が神っぽく感じられる存在を神だと思い込み、そしてその様子を賛美したり、噂にすることによって、より自分たちの中での印象を硬いものにしていったんですね。

視点を変えてみれば、フリーナはその性質を利用して、フォンテーヌ全体を騙してみせたともいえます。

この辺も「フォカロルスが思う理想の人間」を凝集させて作ったフリーナならではの人間性理解なんでしょうね。

この点を押さえた上で、性格分析を聞くと、1段深く見れるので、ぜひ押さえておきましょう。

フォカロルス、水神、フリーナのビッグファイブ

では、性格を比較していきたいと思います。今回も正確な分析に用いるのはビッグファイブと言う手法。科学的な性格分析では最も使われている手法です。

詳しい説明や基本的な内容はこちらの動画で紹介しているので、よかったらご参照下さい。

比較にあたって名前が紛らわしいので、呼び分けたいと思います。まず神様としての特性を備えたフォカロルスはそのままフォカロルスと呼びます。次に神様を演じていたときのフリーナですが、こちらを水神と呼びます。そして一般人になってからのフリーナをフリーナと呼ばせてください。

では、早速見ていきましょう。

3人分のビッグファイブを重ねると、このような形になりました。

思ったよりも差が大きいですよね。それぞれの理由と合わせて解説していきます。

まずは、神経症傾向。メンタルの繊細さを表す指標です。高いほど物事に動揺し、やすかったり、感情が変動しやすい性質を持ちます。

フリーナは比較的高めの数値で、水神とフォカロルスに関してはかなり低め、と言う結果になりました。

まずわかりやすいフォカロルス。彼女は感情の起伏がほとんどありません。もともと純水精霊だった彼女は喜怒哀楽を備えた人間に憧れていたようです。おそらく純水精霊の状態では、人間ほどの喜怒哀楽がないんでしょう。なので、自分の理想的な人間成分であるフリーナを作り出したときにも、感情のあり方を羨むような発言がありました。

そのため、メンタルが強靭であると言うよりは、生物としての体質として、メンタルの変動が小さいと言うニュアンスで低めの採点となっています。

続いて水神です。水神は人間であるフリーナが「こうした方が神様らしいよね」と考えて演じていた人格です。そのため方向性が明確でわかりやすいタイプになっています。

神経症傾向の内訳と照らしながら、見ていくとわかりやすいので、一度ここで詳細を見てみましょう。

1つ目が心配性。将来のことに対して不安になりやすく、細かいことを気にしやすい性質のことです。

これに関しては、わかりやすいキャラ建てを持っていますよね。「僕に任せておけば心配ないよ」と胸を張って発言する彼女の姿が容易に想像できると思います。フリーナは自信家である水神を演じているので、これに関しては最低点で間違いないでしょう。

次に緊張です。感情が高ぶって頭の中が真っ白になってしまったり、体が震えてパフォーマンスが下がってしまうような性質を指します。

これも全く当てはまらないですよね。フリーナは常に歌劇場に立ち、派手な演技かかったパフォーマンスで聴衆を魅了して見せます。その様子からは緊張感など微塵も感じられません。

なので、人間であるフリーナは緊張しているかもしれませんが、表向きの水神としては緊張していないスタンスなので、評価は最低点となります。

続いて抑うつ。孤独に弱く、周囲から冷たくされるとすぐ憂鬱になってしまう性質。

こちらも水神にはないイメージですよね。神様は常に孤高の存在で、怒ったり悲しんだりはしますが、憂鬱になっている印象は薄いです。なので、これも低い点数。

さらに自己批判です。脳内に自分へのネガティブな思考が渦巻きやすいタイプのこと。

これもぶっちゃけないですよね。水神は、基本的にいつも自信満々。過去の自分をネガティブな方向で反省したりすることもほとんどないです。落ち込んだり悲しんだりする様子は、フォンテーヌ人の間でもマスコット的な扱いとして見られているようですが、決して自分を顧みたり、反省したりするような方向性ではないです。

時に無理矢理な理屈で自分を正当化してくるような強引さや、傍若無人ぶりが「ある意味神様らしい言動」なので、それを含めて受け入れられていると言って良いでしょう。

ところが面白いことに最後の気分変動は点数が高いです。意味合いはすぐポジティブになったかと思えば、すぐにネガティブになってしまうような性格のこと。

要するに、喜怒哀楽が激しいってことですね。これは水神そのままの印象ですし、演じているフリーナもそのように目指して演技をつけています。

なので、これらの内訳を見てみると、水神のキャラ付けがめちゃくちゃわかりやすくなりますよね。

ものすごく自信家で落ち込むことなんてなくて、自分の感情にまっすぐ。それでいて、喜怒哀楽はめちゃくちゃ激しいと言うキャラクター像が顕著に出ているのではないでしょうか。

このように、1つの神経症傾向と言う項目の中でも、内訳では大きな差が発生することもあるんですね。

結果的には、ほとんどの項目が最低点なので、総合スコアとしては低めと言う評価になります。

そして、最後に、人間としてのフリーナを見てみましょう。

今の内訳の話から察することができたと思いますが、本当はフリーの中では自信がなくてネガティブになってしまうことがたくさんあります。しかし、それを表に出すと、神様っぽくなくなってしまうので、出していないんですね。

神様を演じている時ではなく、人間として誕生したばかりのフリーナの様子や、伝説任務における周囲の人々とのやりとりを見てみると、結構心配性であったり落ち込みやすいことが見て取れます。

そういった点から、総合的に神経症傾向の点数が高めと判断しました。

続いて外向性です。他人と積極的に関わろうとする性質や、話し好きであったり、ポジティブな性格の成分を含む性質ですね。

これもフォカロルスから見てみましょう。フォカロルスは、正直外交性が高いとは言えないと思います。計画を決めるときにも、結局1人で海底に潜って考えていますし、他人と向き合って会話しているときの様子からも、内向的な側面の方が強く感じられます。なので、描写こそ少ないですが、低めで評価しました。

続いて水神です。これは、先ほどまでの話と同じように、フリーナが外向けに演じている神様像なので、非常にキャラクターが明快になっています。

水神は、常に自信満々で、よくしゃべります。さらにガンガン目立ちに行くことが大好きな性格と言えるでしょう。しかも結構ポジティブですよね。僕についてくれば安心だよ。みたいな発言を良くしますから、外向性の面では満点と言っていいキャラクターをしています。

それに比べると、中身のフリーナはもう少し控えめな性質と言っていでしょう。

先程も説明した通り、フリーナの性格と水神の性格はある程度混ざり合っている部分があります。言い方を変えると真逆の性格を演じ続ける事は難しいので、ある程度自分の素の性質に近いところに演じる内容を寄せる必要があるんですね。

そういった意味では、水神として見せていた性格とフリーナの性格は比較的近いともいえます。ただ人に見せるためにめちゃくちゃ強調していた部分が多いため、実際にはもう少し内向的というのがフリーの性格な塩梅だと思ってもらうとわかりやすいはず。

続いて誠実性です。これは辛いことでもコツコツと続けられる性質のこと。

はい、言わなくてもわかりますよね。3人とも満点です。

正確によって、微妙な違いこそあれ、めちゃくちゃ誠実性は高いと言って差し支えないでしょう。ちょっと誤差があるのは、水神は衝動的に感情をあらわにする側面を多少見せているので、その分点数が少し低めになった感じですね。フリーナもうそれに引っ張られてほんのちょっと下がる感じ。喜怒哀楽が強くて、それに行動が引っ張られる性質があるのは水神にしてもフリーナにしても一緒ですからね。

とは言え、あんなに辛い。500年を走りきる誠実性は、とんでもないものがあります。なので満点と言わずにこのゲージを突き抜けたい位の採点基準ではありますね。

次に調和性。

他人への親切さを表す指標ですね。高い場合には、アンバーや宵宮みたいな感じで人懐っこく優しい印象になります。逆に低いと召使いのような感じで冷淡なんですが、交渉上手になる場合があります。

今回の3人を比較した場合に、一番フォカロルスが下と言うのは納得がいきますよね。自分の計画実行のために、かなり冷淡な態度をとっているのが彼女です。ただし、最低点にするほど低くはありません。なぜなら、彼女の計画と言うのは「フォンテーヌ人を助けたい」、引いては「自分の分身であるフリーナを助けたい」と言う優しさの意識から生まれるものだからです。

前回解説した白術と同じように、とても大きい優しさがあるが、故に、ドライさも合わせ持っているようなニュアンス。もしよければ、前回の白朮動画でもかなり詳しく解説しているので、そちらもご覧ください。違う角度から聞くことで理解度が深くなると思います。

そして、フォカロルスと比べると、比較的フリーナは人懐っこくて優しいですよね。特に人間として人前に出るようになってからは、わかりやすく親切で優しい面が出ていると思います。なのでフリーナが1番高い点数。

水神は、その中間ぐらいといった感じですね。先ほども説明しましたが、普通の人には理解できない位。喜怒哀楽が激しく、時に民衆を振り回しますが、その本質はフォンテーヌ人を愛しています。そしてフォンテーヌの民もそれを理解しています。なので、割と高いんですが、高すぎない感じとでも言いましょうか。バランスで言うと、人間としてのフリーナよりは低いけれどフォカロルスよりは高いと言うバランスなんですね。

そして最後は開放性です。これは知的好奇心の強さを示す指標、高いと新しいことにじゃんじゃん挑戦して、知的な体験を積みたくなる性質が強くなります。逆に低いとルールに従って生きることに安心感を得るタイプと言えるでしょう。

これに関しては、フリーナと水神はめちゃくちゃ高いです。新しいものに対する興味がめちゃくちゃ強いですし、どんどん勉強するタイプですよね。

逆に、既存のルールを守っていこうとする性質は比較的薄いと思います。法廷のルールもかなりガンガン破っていくので、そんなに高くないんじゃないかなと言う印象。

なので、めちゃくちゃ高く評価してあります。

それと比べると、フォカロルスは500年間守るべきルールを自分で作りました。そしてそれをきっちり守りきることをやってのけましたよね。そういった点では、開放性はやや低めだと思います。

ただし、それでも日本人平均から考えると比較的高いです。と言うのも、そもそも彼女の行動原理は、天理が定めたルールをぶち壊すことにあるから。ある意味解放性がめちゃくちゃ高い行動をしているんですよね。

なので、それなりに高い評価にしてあります。ただフリーナや水神ほど新しいものに貪欲に食いついていくニュアンスが感じられなかったので、2人と比べるとやや低めという感じ。

はいというわけで、ビッグファイブの感じが、なんとなく掴めたのではないでしょうか。続いてダークトライアドも見ていきましょう。

フォカロルス、水神、フリーナのダークトライアド

では、早速3人を比較したダークトライアドをお見せしましょう。グラフはこんな感じ。

割ときれいに重なりましたよね。

ダークトライアドとは3つ揃っていると、危険な人格になりやすい性格特性のこと。1つずつは素晴らしい性格であることも多いんですが、3つ揃うとかなり危険な人格になりやすい性質なので、3つの危険要素ということで、ダークトライアドと呼ばれています。

1つずつ見ていきましょう。

まずは、サイコパス。共感能力の低さを表す指標です。

なので、数値が高いと他人の痛みを理解できなかったりします。逆に数値が低いと、他人の痛みに共感しやすい能力を備えていたりする感じ。

まず、フォカロルスですが、だいぶサイコパス性が高いです。といっても、彼女の場合は人間ではないからと言う点がかなり強いと思います。人間の感情に対して憧れを抱いている側面が強いので、自身は、人間の感情とは違う感覚を持っている存在なんでしょう。なので、人間の尺度で測ると、どうしてもサイコパスが高いと言う評価になってしまう感じ。

フォンテーヌ人の人間臭さをしっかり理解した上で、計画もバッチリ立てていましたが、フリーナにかかる心理的な負担の事は、肌感覚では理解できていなかったように思います。なのでこれが妥当なラインなのではないでしょうか?

次に水神も同じ位高いです。数値は同じ位ですが、その内訳は少し違います。と言うのも、水神は人の心があります。なので、感情は理解できているんですよね。ただ神様としてのキャラクター付けで、時に理不尽な決定を下したりもします。民衆の意見なんて全く気にしていないような素振りを見せるので、そういった意味では、サイコパス性が高いキャラ付けとも言えるでしょう。

なので、高めの採点。

そして、最後にフリーナですが、彼女は普通に人間の感情がありますし、理解もしています。しかもどちらかと言えば、共感能力が高めな方だと思います。だからこそ、フォンテーヌの民衆の気持ちを自分の中でシミュレートして演技をすることができたわけですからね。なので、3人の中では1番低い評価となります。

続いてマキャベリアニズム。目的のためなら、手段を選ばない性質のこと。

これはそんなに説明いらないですよね。まずフォカロルスですが、全く手段を選んでいません。この世界に設定されているルールをぶち壊す事はもちろんですし、そのために、自分自身と自分自身の分身をどんなに苦しい目に合わせてでも目的達成をしようと言う姿勢は、間違いなくマキャベリアニズムの権化です。文句なしの高得点。

水神に関しては、先程のキャラ付けが理由です。どちらかと言えば「わがままさ」みたいなニュアンスですかね。欲しいものは必ず手に入れるし、そのためならめちゃくちゃ駄々をこねるのが水神としてのキャラクターです。なので結構高得点な感じ。

点数は高めなんですけど、フォカロルスとは理由が違う点が面白いところ。

そしてフリーナですが、フリーナはそんなにずる賢く立ち回ったり、他人を傷つけることすらいとわないような方法はあまり取りません。なので、3人の中では1番低い点数となります。

最後がナルシシズム。自分のことが大好きな性質ですね。

これは3人とも、そこまで点数が変わりません。と言うのも、ナルシシズムの評価基準として「自分が特別な存在だと思うか」「周囲からリーダー的存在だと思われていると感じるか」みたいな項目があるんです。

これって神様だったら当然のことですよね。なので、どうしても神様を評価しようとすると、ナルシシズムは高くなってしまう傾向があるんです。

神様ではないフリーナに関しても同様です。結局その生い立ちと今まで過ごしてきた時間が特別すぎるせいで、周囲からは特別な存在だと思われていますし、自分でも認識しています。なので、どうしても点数としては高くなってしまうんですよね。

普通の人間を採点するためのシステムなので、この辺はご愛嬌ということでご容赦ください。

仮に神様じゃなかったらと言うことを考えてみたら、おそらく3人とも日本人平均よりやや高い程度になるのではないかなと思います。見た目には自信を持っていそうなので、その分でちょっと高めって言うニュアンスですかね。参考まで。

ホヨバの上手な演出について

ここまで性格についてざっくりとってみて、結構大きく違うことがわかっていただけたのではないでしょうか。

その上で一度冷静に、「自分たちのこと」を振り返ってみましょう。そう、プレイヤーである私達の心情です。

フリーナと言うキャラクターは比較的人気のあるキャラクターです。初登場の頃からその可愛らしいルックスはもちろんですが、中身がちょっとポンコツであることが話題になって好かれていた印象を持っています。

そして、魔人任務で、彼女の真実が明らかになってからは、その壮大な覚悟が貫かれた人生を知ることで、よりファンが増えたキャラクターですよね。

ところが、彼女の行動をいったん冷静になって考えてみると、結構めちゃくちゃです。

入国したばかりの旅人に、ほとんどいちゃもんと言って、良いレベルの因縁をつけていますよね。しかもその後リネが逮捕された件での裁判は全く論理的ではありません。印象操作や一方的な決めつけでガンガン煽ってくるだけです。

正直やっている行動だけで考えると、めちゃくちゃ嫌われることをやってるんですよね。

ただ、私たちがそこまでフリーナに対して悪い印象抱かなかった理由は3つの描き方にあります。

1つは内面描写。

フリーナはたびたび焦っている心の内側が見えるように演出されますよね。あの様子はプレイヤーである私たちにしか見えていません。旅人やパイモンからするとだいぶ嫌な行動のままだと思うんですが、私たちプレイヤーからすると「こんなに心の内で焦っているんだな」「ポンコツでかわいいな」といった印象を抱いてしまうんですね。

さらにウィンザー効果もあります。

ウィンザー効果とは、自分で言うよりも他人に語ってもらった方が印象が深くなる現象のこと。

旅人とパイモンがフォンテーヌに上陸すると、まず水神の噂が耳に入ります。どうやら水神はフォンテーヌの人々に愛されていて、しかもそれは怖い神様と言うよりは、ちょっとマスコットっぽいような扱いだぞ、と言うニュアンスで入ってくるんですよね。

なので、フォンテーヌの人々が噂していると言う第三者からの情報として私たちに入ってくることで、フリーナの印象は良くなっているんです。

あと忘れてはいけないのは、もちろんデザインや声が可愛らしいこと。

言うまでもありませんが、見た目や声と言うのは、私たちの印象に大きな影響を与えます。特に見た目の良さが影響を与える効果はハロー効果と呼ばれていて、見た目が良いだけで、私たちはこの人は内面もいいんだろうなみたいな良い印象を抱いてしまう傾向があることがわかっています。

そのように、私たちを楽しませるストーリー展開はもちろんですが、それと同時にキャラクターの印象がどのように私たちに見えるのかと言う調整をするのが非常に上手だと思います。一歩間違えれば結構悪い印象を残してしまうキャラクターだと思うんですよね。

人によってはフリーナのその態度がめちゃくちゃ気になってしまって、悪い印象を持ったと言う意見も目にしました。しかし、大多数の人は、フリーナに対して好印象を抱いています。それはキャラクターの人気ランキングやネット上での評判などを聞いても明らかですよね。

改めて、しっかりと大多数に響くキャラクター設計ができるホヨバースの技術に感心させられてしまいました。いやまじですごい。

まとめ、ホヨバースの全力が感じられるキャラクター、フリーナ

いかがだったでしょうか?大変長くなってしまいましたが、フリーのことがいっそうよく理解できていれば嬉しく思います。

どうしてもフリーナについて理解しようと思うと、魔神フォカロルスについても理解しなくてはいけません。そうなると、彼女の計画にとって、重要なフォンテーヌと言う国そのものについて見なくてはならなかったので、時間軸が壮大になってしまいました。

せっかくなんだと言うことで、世界任務等で登場したコンテンツが、大体どのあたりの時間軸なのかと言うのも併せて紹介させてもらった次第です。

少しでも楽しさが増えるお手伝いができていると嬉しく思います。

肝心のフリーナですが、ホヤバースの本気を感じる構成になっていました。

心理学シリーズで解説してきたアベンチュリンにも匹敵するような複雑さを持ったキャラクターだと思います。特に今回は、原神と言う作品の根底に関わるような設定の部分から始まり、国そのもののストーリーや個性を絡めた上での描き方をしています。さらにそれを旅人視点で体験する私たちにとっての印象をコントロールしながら描くと言うめちゃくちゃ高度なキャラクター描写だったんじゃないでしょうか?

ものすごい曲芸を見せられた気分です。

と、いうわけで、多面的な魅力が詰まったフリーナの今後の人生の幸せを願いつつ、今回の動画はおしまいにしたいと思います。

今後も面白いキャラクターがいたら、掘り下げて紹介していこうと思いますので、よかったらチャンネル登録してみてください。メンバーシップでは、キャラクター評価を行ったシートも公開したりしていますので、興味があればぜひそちらもどうぞ。

では、今回の動画も、あなたが原神を楽しむための一助として参考まで。

yoshiaki-kobayashi

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