仮説を思いついたので書いておく。2024-03-22
今回、思った以上に崩壊3rdと崩壊スターレイルが重なったので、そこについて仮説を立てる。
今回お届けする内容はこちら
概要:エリシア誕生前の話説
黄泉ストーリーはエリシア誕生までの話ではないか?
序論:無から有を生み出す共通点
崩壊シリーズには共通点がある。それは無から有を生み出すところ。言い換えれば偽物が本物になる話であり、作り物が創造主を超える話である。
これは、キアナという作られた命が終焉の繭という神にまで成り上がる構造からも見て取れる。また、同様の構造としてヴィタという作り物が娑に成り代わる動きが挙げられる。
またストーリー構成に携わるdavid氏を始め、焼鳥氏もFateに影響を受けていると対談で語っている。
https://x.com/denfaminicogame/status/1771009330638377293?s=20
特にUBWのエミヤのあり方に影響を受けたそうだ。エミヤは「コピー能力で本物を超えてみせる」英雄であり、衛宮士郎もギルガメッシュをそれで倒した。
また、オットーは借り物の力を「人間の想い」によって本物を超えるものにしてみせた。
そして、崩壊エネルギーはエネルギー保存則に反して、虚から有を生み出すエネルギーの動き。虚数側から実数側へ崩壊エネルギーを介して物質やパワーを引き出すことができるSF理屈となっている。
上に並べたような共通点が見られると考えている。
論理:構造重視で考えます
まず、スタンス。私は「構造」が大切だと考えている。つまり物語における役割・ロールが一致していることがスターシステムの肝だと考えているので、見た目だけ似ている等では共通点として弱いとしているのだ。
例えばタルタリヤとアベンチュリンは同じではない。ニィロウとスーサナは同じではない。それはキャラ構成の一部が似ているだけだ。
だが、ケビンとメイの関係は、キアナと雷電芽衣の関係と重ね合わせになっていると考えている。
血筋・見た目・声が近いことなど、共通点が多いことはもちろんだが、「構造」「役割」が同じであることが要点だと考えているからだ。
それによって「重ね合わせ」を起こしてエモくすることが手法だと捉えている。
「重ね合わせ」の捉え方は重要で、「同一視」とは異なる。例えば姫子の役割はよく亡くなってしまうが、「必ず亡くなる」わけではない。亡くなる事例が多めだからこそ、生存ルートが輝くし、亡くなる運命から脱するための抵抗力によって感情の強さが描ける。
「この役割だから絶対にこうなる」という考えだとズレを堪能できないため、「すべての可能性が共存して重なり合っている状態」を利用してエモさを作っているという解釈。
なので、「〇〇顔だから絶対こう」という考え方はしない。
長くなったが、重要なポイントなので説明した。上記を元に考えを提示する。
黄泉PVからわかる共通点について
構成において共通点を探すと下記が発見できる
八百万の神=終焉の繭
「八百万の神が人々を害した」より
神々の躯から作られた剣=律者コアで作られた神の鍵
一振り目は「真」。「都牟刈神」を斬って鍛えられたその刀は、人々に真理を見せ、万象を分解して神跡を再構築する。 二振り目は「天」。「天之常立尊」を斬って鍛えられたその刀は、高天を壁に変え、禍津の諸神の行く手を阻む。 三振り目は「鳴」。「建御雷神」を斬って鍛えられたその刀は、雷光で空を裂き、星流の雷撃で天罰を下す。 四振り目は「嵐」。「志那都彦」を斬って鍛えられたその刀は、風で大地を砕き、雲を走らせて雨を轟かせる。 五振り目は「霜」。「天之冬衣」を斬って鍛えられたその刀は、時を凍てつかせ、凍土を永遠のものとする。 六振り目は「命」。「石長比売」を斬って鍛えられたその刀は、不毛の墓から花を咲かせ、生と死を流転させる。 七振り目は「烈」。「迦具土命」を斬って鍛えられたその刀は、業火で俗世を燃やし、天を燎原へと変える。 八振り目は「覚」。「八意思兼」を斬って鍛えられたその刀は、水鏡で過去を映して未来を知り、永遠に虚実を見ないようにさせる。 九振り目は「礎」。「大山津見」を斬って鍛えられたその刀は、列島を天辺に浮かび上がらせ、山や地面を突き崩す。 十振り目は「千」。「大己貴命」を斬って鍛えられたその刀は、人々をつなげ、無数の影を起伏させる。 十一振り目は「束」。「久那止神」を斬って鍛えられたその刀は、間違った道をことごとく籠に入れ、邪悪を一掃する。 十二振り目は「喰」。「八十枉津」を斬って鍛えられたその刀は、常世を朽ち果てさせ、神鬼の区別をなくす。
【崩壊:スターレイル】千の星を巡る紀行PV「虚譚・浮世三千一刀繚断」概要欄より引用
役割や絵柄の一致で間違いなさそう。
12本の刀を使って作られた二本は起源と終焉
そして幽世は一掃され、戦いは終わり、十二振りの刀がすべて折られる。 荒魂だけが騒ぎ、黒き太陽は明るく輝き、最後に世を負う二刀を鍛える。 一つは「始」、もう一つは「終」。
【崩壊:スターレイル】千の星を巡る紀行PV「虚譚・浮世三千一刀繚断」概要欄より
すべての律者の権能を集めてなる形態が終焉。その始まりが起源。
PVから感じる違和感
前項の内容から、「刀」はほぼ「律者」を表していると読み取れる。
しかし、「始」は「終」を切り、ともに砕けてしまった。崩壊3rd本編では起源の律者はエリシアから雷電芽衣へと引き継がれ、終焉とも手を取り合って平和な終点を向かえた。これと一致しない。
そして、さらに下記の条件
- 一つの嘘と、存在しない終点のため、出雲は刀を作る
- 出雲を救えるのは一振りのみ
- 最後の「刀」(人)が造られるまで
- そして生み出される「無」
- 神の力を持つ者はまた鬼へと退行していく
【崩壊:スターレイル】千の星を巡る紀行PV「虚譚・浮世三千一刀繚断」概要欄及び字幕より抜粋
上記から、刀は律者能力を意味することがわかる。さらに、人が律者能力を手にすると鬼になり、それを乗りこなせると神に近づくことも予想できる。
これは崩壊3rdの描写とも一致しており、律者は崩壊の意思に飲まれると人類に敵対する鬼のような存在になってしまう。しかし、雷電芽衣のように力を自分のものにできれば崩壊の力、すなわち神の力を手にできる。
このように解釈すると、ナゾになる部分。それが「刀」(人)である。
出雲は、出雲を救える一振りが現れるまで律者(刀)を生み出し続けるが、最後の一振りは(人)なのだ。
さて、ここで一旦崩壊3rdの世界に視点を移して考えてみよう。
律者が最終的に人類に味方するような姿勢になった理由はエリシアという特異点的な「人の律者」が居たからだとされている。最終的に、前文明でエリシアが現れて、現代までその影響があったおかげで最終的な平和が訪れた。
では・・・前文明より前があったのではないだろうか?
エリシアが現れない世界。ただひたすら人類を滅ぼす律者が現れて、滅亡するだけの結末を繰り返す世界。そして、終焉の繭によって再び似たような演算が繰り返される世界。
つまり、最後のカギはエリシアとも考えられる。人なのに律者でもある、という嘘みたいな存在であり、存在しない終点でもある。そしてそれは世界を救える最後の一振り。
しかし、そこにたどり着くためには途方もないなにかを乗り越えないといけない。それこそ狂気の彼方に至るような、現実離れしたところへ。
それが、最初に触れた「無から有を造る」なのではないかと思う。
黄泉は無という極限の虚無から、果てしない世界を繰り返し、すなわち永劫回帰を乗り越えてエリシア誕生を果たさないといけない。
(なお、**【崩壊:スターレイル】ショートアニメ「永劫の輪舞」**概要欄にて「永劫回帰」という表現が出てきた)
なので、出雲が果たしたい目的、黄泉が果たしたい目的はエリシア誕生という「一つの嘘と、存在しない終点」ではないか、というのが今回の仮説である。
なにより、ホヨバはシュタゲみたいな展開が好物だし、「果てしない苦しみの果てに世界改変を成し遂げて見せる」っていつものことだったりする。それで出てくるのがエリシアってめちゃくちゃ熱いし、黄泉もきっとキアナに出会える流れになってハッピー。ケビンもメイに出会えていいんじゃないだろうか。
・・・以上、ただの仮説なので、面白半分で参考まで。
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